2006.10.01 Sunday
YS−11の┗(-_-;)┛で(おもいでぇ〜)
今日は、日曜日なので長い!RINOさん並に長い!
YS−11です。ワイエスイチイチと呼びます。 昨日、民間航空機としては日本の空から引退しました。 エンジンはロールスロイス製だけど、唯一の国産旅客機が国内の空から消えた事は寂しいことです。 私も、三回程乗った事があります。 そのうち二回はJAC(日本エアーコミューター)の大阪⇔米子の往復便です。 空港について、なんか変。。 なんでも米子も霧が激しいらしく・・・ 米子について、降りれない場合大阪空港に戻るという条件つきのフライトです。 でも、飛び立つと軽快な飛び方で、大阪空港を飛び立ち宝塚上空を急角度で方向を変えながら飛んだ事を覚えてます。 急角度で窓が真下になった様な気がしたもんです。 現地もなんらの問題もなく、帰路も問題なく。 飛行機の内装も別段に違和感を感じる事もなく、安心のフライトでした。 そして。残りのもう一回。それはもっと前の話です。 乗った路線はNKA(日本近距離航空)の稚内→千歳です。 稚内、そうあの北海道の稚内です。時期は冬。それも1月末の厳冬期です。 観光・・そんな物ではありません。ビジネスなんですが・・・ クレームの処理で・・楽しさもなんもありません。 行くのも大変でした。 旭川の近くに赤平という町がありまして、そこから車で行ったのです。 車といっても、お客さんのトラック。それも4トン車で。 最初から・・いや前夜から大変でした。 ホテルなんて気の利いた所でなく、泊まったは旅館。 暖房は石油ファンヒーターが一個。 ガンガンに炊いて就寝したのですが・・ 石油ガスファンヒーターは安全の為連続運転が出来ません。 そう、夜中に自動で止まり、深夜に寒くて起きてしまいました。 旅館の出発は5時・・五時です。真っ暗だったです。 旅館の前で待っていても、待ち人が来ません。 足が震えます。気合を入れても足の震えがどうしても止まらない寒さです。 姿も厳冬期なのに。。スーツ姿、もちろんコートは着て下にも厚手の下着を着込んでますが、都会の真冬並の装備と変りません。 やっと現れた待ち人。 話を聞いてみると・・ あまりの寒さに、ディーゼルエンジンが掛からなかったとか・・・ 車に乗り込み・・北上を開始します。 車の中は暖房をフル稼働しています。 (ちなみに冷房は着いてませんでした) 窓の外の温度差が激しく窓には結露が・・いや露でなく氷が貼っていきます。 さすがに、運転席の窓は暖房の風で溶けますが横の窓の風が当たらない所は氷が・・そんな寒さでした。 道は真っ直ぐです。単調です。信号もありません。人家もありません。 道でさえ・・良く判らない道です。 運転されている方が・・ 居眠り運転で事故する人が多いんだよな〜とか 事故をしても、寒さで凍死するとか、助けがこなくて往生したりするんだよな〜とか 吹雪に合って、雪に埋もれて春まで見つからない事もあるんだよな〜とか。。 言い出すので。。運転手さんの眠気防止に・・話を続けるのに大変でした。 運転手さんの演歌の独演会もありました。 そんなかんやで到着した稚内。現地の代理店の人と合流して。。現地の確認を・・仕事をなんとか終えて・・ ・・・でも。帰る方法が・・・。 JRの寝台急行電車で札幌にでるか・・・ 翌日の便で稚内空港から千歳にでて帰るか・・・ 結局、後者を選びました。どうせなら稚内で美味しい魚を食べたかったのです。 ホテルを見つけて、少し休憩をして・・暗くなった稚内の町に・・ ホテルの玄関をでて。。赤提灯の明かりが見える方向に歩き出して・・ ホテルに戻りました。 あまりの寒さに耐え切れなったのです。ホテルの玄関をでて・・ 吹き荒ぶ寒風、いや冷風、いや氷風に。。 結局、ホテルのレストランでハンバーグ定食を食べました。 辛かったです。(シーズンオフで泊まり客もすくなく、メニューも少なかったです) 翌日、連絡バスに乗り稚内空港に・・ 真白です。滑走路も真白です。雪というか。。凍ってます。 でも、飛行機が居ます。それがYS−11でした。 搭乗したYS−11は初期型で・・座席の上の棚もまるで昔のバスのような感じで。。 スッチーのお姉さん、棚には帽子や手袋などをお入れくださいと放送してます。 でも、その初期型YS−11は無事に飛び立ち。。千歳に向けて順調に・・ 飛行高度が低いせいか、北海道の山々、厳冬期の雄大な自然が上空から堪能できました。 千歳について。。東京までの航空券をGETして・・ (その当時は東京に在住) 空港のレストランで昨夜の恨みと。。美味しいものを。。。 羽田について・・財布の中を確認すると。。小銭だけ・・ なんとか家に帰りましたが・・ 翌日は日曜日。。。独身時代で・・彼女もいない時期で・・ 悲惨でした。夕食はご飯だけ・・白飯だけ・・ 翌日の月曜日まで・・それが私のYS−11の思い出です。 |